私のおもうサボールという場所

私がサボールに関わるようになったのは、1年と半年ほど前の2018年の9月から。

原っぱ大学のお料理バンチョーあやさんが、忙しいお母さんたちの余白をつくりたいという思いから、お惣菜を手作りして計り売りを始めるというその思いに賛同し、その一端を担わせてもらうようになってからです。


毎木曜日はお惣菜の日とし(その傍では色んなワークショップをやったりもしてます)、主菜になるようなもの1品と、副菜2品の計3品を朝から仕込み、昼過ぎにはほぼ出来上がり(目標!)、容器を持った人たちがそれぞれのタイミングで買いに来てくれます。

仕事の合間や仕事終わりに毎週買いに来てくれる人、たまたま近くに用事があったついでに寄ってくれる人、予約までして買ってくれる人、夕飯の1品に、明日のお弁当のおかずにと、これまでたくさんの家庭の食卓に上っただろうお惣菜たち。その人たちのその日の10分?20分?のすきま時間をつくってこられたかな、だといいなと思います。

とはいえ、大鍋にたくさん作ったところで、鍋の底が見えるという日は毎回とはいかず、お惣菜の入ったままの鍋をあやさんがそのまま持ち帰るということもざらにあるけれど、朝から土砂降りの雨で、誰がこんな日に外出するのかと思うような日だって、よほどのことがない限りは木曜日は朝からせっせとお惣菜を作り、もしかしたら来てくれるかもしれない誰かを待つというスタンスをあやさんは大事にしているのです。そして、そのことに私は大いに共感しているのです。


「ドアはいつでも開いてるよ」そのことで救われる誰かがいるかもしれない。


私は一人目の長男(現12歳)ジョーが2歳5ヶ月まで、夫の実家のあった千葉県船橋市に住んでいたのだけど、その場所はジョーの生まれる1年ほど前に移住し、土地勘もほとんどなく、気軽にお茶に誘う相手も近くにはいない場所で、唯一、出産前の妊婦健診を受けていた病院(出産は私の実家のある山口県の病院)の主催するマタニティビクス教室で顔見知りになった数人のお母さんたちだけが、たまに会って憩いの時間をともにする人たちでした。

だけども、共通項は赤ちゃんである子どもたちだけ、みんな第一子の子育てに奮闘していたし、自分たちの趣味を語らうことも、余裕もなく、会ったとしても、順番におっぱいやおむつの交換や、グズるわが子をなだめたりと、会話らしい会話はほとんどなかったような気がします。

家にいれば、言葉を発さないわが子と二人、夜遅い夫の帰りを待つ体力も気力もなく、その日一日、誰かとまともに会話もしないという日の方が多かったのではないかと思います。

もし近くに、心置きなく話せる先輩お母さんがいて、わが子を可愛いと抱いてくれ、この永遠のような赤子との日々には終わりがあることを教えてくれ、この無生産のように思える日々がどんなにかけがえのない時間なのかを伝えてくれたら、毎日続く泣き止まないわが子の声ももっと愛おしく受け入れられたことかと、今さらながらに思います。


世の中のお母さん、お母さんはお母さんであるというだけで尊いし、お母さんが笑っているということだけで子どもも家族もハッピーなのです。だけど、そのためには、お母さんがお母さんでない時間もとっても大事。

だから、このサボールという場所で、お母さんがお母さんという役目を少し離れて、お母さんでない自分を取り戻す時間をつくってもらえたなら、お惣菜を買って、家に帰ってからの少しの時間を、何に追われることなくゆっくり過ごす時間に当ててもらえたなら。

不安になった時、イライラが収まらない時、幸せを共有したくなった時、ここに来て、その気持ちを言葉にして、また来る明日を新しい気持ちで迎えられるための場所になれたら。サボールはどんな人も排除せず、どんな人にもドアを開けて待っている、そんな場所であり続けたいと思っています。

もちろん、お母さんだけでなく、お父さんも、おばあちゃんも、おじいちゃんも、子どもも、誰でもみんなにね!


長々と拙い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

そんなお惣菜係は、この4月より少し昇格し、サボールの管理人(名ばかりですが、、)を一任されることとなりました。

もちろん、お惣菜もこれまでにも増して、愛を込めて作って参ります!


そんな私と新生サボールをどうぞよろしくお願いします。


イイハマロロ

原っぱ大学サボール

日常にヒマを、余白を サボールを!

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